資料2 京都・大磯セミナーに提言する
歯科医療と生活改善 ー健康づくりの基礎としての歯科医療の確立をー 1982.5
歯科医療すなわち、口腔疾患とその回復に食生活のあり方は直接的に拘っている。
疾患の進行を阻止して、噛むことがつらくなく、気持ちよく楽しく食事ができるように回復させる歯科医療、それで果たして医療として十全なのであろうか。口腔疾患の代表的な歯牙う蝕症(ムシ歯)あるいは、その周囲組織の疾患(歯槽膿漏)は、口腔諸機能のなかで重要な咀嚼機能を著しく障害し、病的に変化させ、習慣化し定着させさえもする。
僅かの不調で気持ちよく噛めない時から次第に痛くて噛むことが気になるようになり、ついに噛めなくなる。
その間の数年もの永い期間に病的不全咀嚼は習慣化する。全文
治そうと始めてから、気にかからないように食事ができるようにまで回復する。そのような処置が一般には、歯科医療と認められている。
しかしこのような歯科疾患に対する処置治療、いわゆる、歯科医療は疾患の現症を改善するに止まり、疾患発生の原因までを除去するものはなく、病因は依然として温存され増強されこそすれ、減弱することは一切見られない。
また回復は自然治癒力によって完全治癒したものはなく、組織には不調和な人工物(組織臓器)として代用しているにすぎない。
その上に多くの場合、その回復処置の不調和性が一層不全咀嚼を強化こそすれ、真の健康を保つに必要なほどに望ましい咀嚼状態に回復、改善されることはほとんど望めない状況にある。
そのような回復の状態、すなわち、不全回復処置の効果は、ただ一時的な対処療法の結果にすぎないため、再燃再発必至の不完全処置というべきで、永続する筈はなく、必ず短期的に再発をくり返し、そのたびごとに必ず組織欠損は増大し、機能障害は悪化する。
結果は無歯顎となり、総義歯によっても回復困難、不能とまでに進行悪化する。
このような回復処置の破損、損耗を含め、疾患の再発は総ての人が不満であり、ここに現代医療に対する不信が生まれてくる。回復された健康状態の長期永続こそ、万人の希望するところであろう。新しい医療が切望される所以である。
再発防止のためには、病因が除去されねばならないが、病因となる主な原因は、多くは日常生活のなかの食生活のあり方にかかっている。
すなわち、火食、高温軟食、甘味添加食品、不全咀嚼が原因で、そのための口腔常在細菌の異常・増加・停滞による口腔汚染の強化と、組織抵抗力減退こそが病因である。
そこで局所的な病因排除方法として、歯垢(歯苔)の除去すなわち、適正なブラッシングの励行を40年間提唱し、ようやく一般化した。
しかし、局所病因の強化、すなわち歯垢停滞を起こす根本原因の多くは食生活のあり方にあるため、食生活の改善こそが再発防止の根源的決め手であり、また初発防止対策の重要な柱であることが深く認識され、従来の医療のあり方がこの点に無頓着であった反省から、食生活改善の指導が強く望まれるようになった。
現在、敗戦後の歯科医療は、病者にあってもその主体性を尊重し、援助協力して生活のなかにある病因を排除して回復し、健康作り運動の生活指導者的役割を果す民主的医療でなければならない。
そこで医療は病者と共同のものとなり、病因の排除は病者の療養の役割のなかに大幅に組み込まれる。また、一方医療者は、この食生活の改善による病因除去処置の伴わない歯科医療は、片手落ちの、手抜きの医療というべきものとの再認識の上に立ち直らなければならない。
40年間、局所の清潔保持のために、適正なブラッシングの励行を促進する運動を起し、そのモチベーションのために歯垢のテレビモニター装置を一般化した。
その実績からW.A.プライスの「食生活と身体の退化」を全訳、自費出版し、これを貸出し読んで貰うことによって、食生活改善の必要性を強く動機づけ、実行に踏み切らせることを広めたのである。
歯科医療の完成、つまり、再発を予防するコンプリヘンシブな歯科医療は、歯科疾患の原因となる間違った文明食生活を改善し、健全化し病因を除く医療でなければならない。
その第1は、局所病因の歯垢の除去、口腔健康回復であり、そのための欠損組織の人工的修復であって、咀嚼を完全に行うことのできる回復必須初動改善処置である。
第2は、それらを治療処置の期間に習慣づける生活改善である。
第3は、人工代用組織の修復物の損耗を生体と調和させる定期検診による補全処置である。
その長期保全期間に正しい食品を、正しく調理して、正しい量を摂取する生活改善指導である
しかし、これらは何がその人に正しいのかについては、ほとんどつかむことはむずかしい。
しかし、それをこそ仕上げなければ再発必至であるということを各自に納得させ、一歩でも完全医療、すなわち、最良な食生活の改善を含めた健康作りに向って、共同して進む臨床を確立し、今日から臨床歯科医療としなければならない。(1982.5大磯セミナー)